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MIYATA
2000年公園



2000年公園みどりの会


 私たちのまち「宮田町」は、「自然の豊かなふるさとづくり」のために、百年にわたる石炭の採掘によって失われかけた緑を、同じ歳月を費やして、新しき緑へ再生していくことを目指しています。
 ここ上大隈農園緑地公園は、この主旨のもと、荒れ果てた炭坑跡地をうるおいのある緑地にもどすことを目的に整備計画が始められました。そして、1999年12月、まさに2000年を迎えようとするこの年に公園は完成し、愛称もそれを記念して「2000年公園」と名付けられました。
 町民農園での野菜や花の栽培風景、芝生広場子どもとお年寄りがふれあう光景、果樹園では四季折々に色づく果実の中で、みなさんの憩いの場として、いついつまでも愛されるよう願っています。(宮田町長より)


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バーゴラ
わんぱく広場

 あまりにも広々とした明るい公園でした。宮田に誇れるものがまた一つ増えたと思わず言葉がでるほどです。
 私が訪れたとき、陽の影がやや長くなった頃でしたが、日射しに映えて幼児たちと母親たち
が遊んでいました。「子どもよすくすく育てよ」



 ここは展望台(左上写真)でもあります。遠くの眺めも抜群。30年ほど前は、炭住で一杯でしたが・・・(下写真)。
 上右写真は、ズームをかけてとった展望台からの眺めです。炭住は全くありません。まるで新興住宅街みたいですね。
 遠くに見える白い建物は、宮田光陵中学校です。

 果物の木がたくさん植えてあります。実るときが楽しみですね。
サクランボ、甘柿、梅、ブルーベリー、キウイ、栗、ビワ、・・・、多いでしょう。


  ここは、町民農園でもあります。一坪が825円ほどで借りれるそうです。私も先々考えようかな。




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2000公園みどりの会  設 立 の ね ら い
 公園を管理・運営していくにあたり、公園周辺の住民によって組織されたボランティア団体です。
 毎月除草作業をしたり、花壇を四季折々の草花に植え替えたり、いつまでも皆さんに愛され続けるよう約80名の会員中心に、日々、がんばっています

2000年公園みどりの会の道のり
 かつて、石炭産業で栄えた宮田町。
 明治・大正・昭和の約1世紀にわたって、エネルギーの供給地として飛躍的に発展し、最盛期の昭和30年には人口5万人を擁する日本一人口の多い町となりました。
 当時、炭鉱で働く人々の住宅(炭住)が建ち並んでいた現在の2000年公園付近は、老朽化した炭住を改良する町営住宅予定地として確保されていました。
 しかし、昭和30年代後半にエネルギー革命を迎え、昭和51年には炭鉱が完全に閉鎖されました。結果として人口は大幅に流出し、当初計画された予定地の一部は石炭産業の衰退を象徴するかのような荒れ地として残されてしまいました。
 「この土地に緑を!」という地域の人々の切実な思いと、宮田町の新しいまちづくり構想が重なって、平成11年、長い歳月を経て、ここに、農園を併設した憩いの揚が整備されました愛称は、「2000年公園」。公募の中から選ばれたものです。
 公園の建設にあたり、今までと大きく違ったのは、地域住民の人々の意見がたくさん取り入れられた点でした。計画策定の段階から、行政と一体になって取り組み、地域の声がいっぱい詰まったこの公園は、何よりも身近なものに完成しました。
 この時、公園整備に携わった地域住民が、そのまま「2000年公園みどりの会」として、平成12年、会を発足するに至りました。
 毎月1回、行政側と会員との役員会や、定期の除草作業を適して、公園や農園の維持・管理に努めています。公園内を彩る季節の花々や、イベントなど、そのほとんどが、ここから生まれています。
 こうして誕生した「2000年公園みどりの会」。1人1人の力が、大きな実を結ぶことを日々実感しながら、今後も、よりよい公園になるように、がんばっていきます。

 
 月一回、早朝より公園に集まり、除草作業に汗を流しています。
  みんなで力を合わせて公園がきれいになることの喜びは、また格別です。
 春と秋、地域の小学生や老人会と一緒に花壇の草花を植え替えます。子どもたちにとっては貴重な体験です。
 日頃のボランティア作業に対する感謝の気持ちを込めて、春はぜんざい、夏はそうめんを作業後にふるまいます。
 汗を流した後は、格別に美味しく感じます。
みどりの会資料:宮田町作成「2000年公園」パンフレットから

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 所在地

 旧大之浦中学校の体育館裏辺りになります。宮田小学校手前300m右に入るとすぐです。近くに石炭記念館があります。
問合せ先:宮田町役場 都市計画課
0949-32-3159

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