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(普光寺・ふっこうじ)
紹介
毘沙門天火渡り神事・毘沙門天物語へ



日陽山毘沙門天と晴明池(せいめいいけ)
○頂上の普光王寺は、大字磯光日陽山山頂に位置し、江戸時代は遠賀・鞍手・嘉麻・穂波四郡の川舟航行安全の祈祷所でもあったそうです。
 寺内に安置される本尊の毘沙門天像は、寺記によると、平安時代にインドの仏師が名木でつくりで、脇野荒谷にあったものを火災のため当地に移されたといわれています。
 また、左腕はなく、全身火傷のため30年毎に上半身、下半身とに分けて開帳されるという秘仏です。 (詳細は下の「毘沙門天物語」をご覧ください)。








○晴明池(上写真)は、平安時代の占い師「安倍晴明」(あべのせいめい)の手によるとされ、干ばつにあっても一度も水涸れしない不思議な池と伝えられています。       
 ところで、地元のご年配にお聞きしますと、若い頃は、この水で皿を洗ったりしていたとのこと。
 なお、今現在は水道が頂上まできてるためその水を使うことはないそうですが。
 
 
 6年ぶりの平成19年2月、晴明池に立ち寄りました。右上写真のように安倍晴明像の建立されて見事な佇まいになっていました。


飯塚市との境にほど近い海抜約170mの日陽山(ひなたやま)の頂上付近にある「普光王寺」正面の鳥居(?)、お寺に鳥居とはと思いましたが、さて、この取り合わせは、・・・。 後日、調べてみたいものです。どなたか教えて頂けませんか。






 ここは、日陽山、通称「毘沙門天山」の頂上です。大きな鳥居がありその奥に小さな社殿(祠?)がありました。

日陽山(ひなたやま)の七不思議
  1. 安倍晴明が印を結んで呪文を唱えてできた晴明池は、どんな日照りでも水涸れしない。
  2. 白フジが年2回咲く。
  3. 桜が年中咲く。
  4. 霜の降ったことがない。
  5. 菜の花が早く咲く。
  6. 日陽山に大きな白蛇が棲んでいる。
  7. 井戸の水が涸れない。
 この七不思議、里人によって語り継がれています。
以上、「筑豊を歩く」(香月靖晴 著 1996 海鳥社)から

平成19年2月の晴明池
 その鳥居正面の左に

雨風雪 
 この山坂道を 七千回


と石(上写真)に刻んであります。

 隣町の小竹町の方です。想像付かない回数ですね。
 ここに来たりて、生き様を学びますね。ありがたいことでした。 

○資料
 安倍晴明(あべのせいめい)
 平安時代中期の陰陽師。加茂保憲について、陰陽道を学び、11世紀の初めにかけて占験をもって知られ、職神を自在に使役したという説話が今昔物語などに伝えられています。映画化もされました。

日陽山の五合目あたり、素晴らしい森林浴ができます。


頂上です。龍徳方面が望めます。遠くに、左に六ヶ岳、右奥に福智山・・・まさに絶景かな。


頂上まで、私(66歳男)で15分!! ちょうどよいウォーキングコースですね。







毘沙門天物語


 
  約1200年前、桓武(かんむ)天皇時代の延暦5年のこと。インドの毘修喝摩(びしゅかつま)という仏像師が日本に来た。持ってきた釈梅檀(しゃくせんだん)というインドの名木で、毘沙門天を彫刻することになった。

 喝摩仏師は、像が出来上るまで、俗人は絶対に見てはならないと使用人に言い渡し、一室に閉じ籠もって、彫り始めた。食事も部屋の外におかせるほどであった。仏師が一刀三拝(一刀加えるたびに三度礼拝をする)をしながら、彫り進めてから十数日目のこと。使用人が食事を運んで部屋に近づくと。中で話し合っている低い声が聞こえるのであった。それからは、食事を運んで行くたびに会話が聞こえた。

 あまりに不思議なことなので、使用人はこらえきれずに、仏師の言い付けにそむいて、そっと部屋の中をのぞいてみた。これはどうか、仏師が、片手のない毘沙門天の像に話しかけると、像も話をするのであった。あまりの光景に驚いた使用人が物音をたてたので、仏師は気付いてたいへん怒った。そして俗人の目に触れたので汚れてしまったと、片手のない未完成の毘沙門天像を残して去った。

 この像が宮田町日陽(ひなた)の日陽山普光王寺に毘沙門天像だ、と伝えられている。この像が、どうしてここ日陽の地にもたらされたのか不明である。当初は、現在地の西方の山上にあって、未完成の片手は、都より来た僧によって完成した。ところがところが、お堂が火事にあったとき、現在地に飛んで来て、普光王寺の本尊になった。不思議なことに、名僧が作った片手は、この大火の時に焼け失せてしまい、そのまま現在でも片手のない毘沙門天像である。

 普光王寺のある場所は、JRバス宮田−新飯塚線の脇野バス停下車、左側の小竹町新多に通じる道を約20分歩くと、この寺のある山への道がある。右に折れ約10分で着く。(昭和50・10・5・上刎)

    ※「ふるさと筑豊」朝日新聞社筑豊支局発行(昭和56年10月)から転載




  毘沙門天像御開帳 

 何という幸運でしょう。かつて60年に一度、そのうち30年に一度「半開帳」が行われていました。最近では寅年の折に、数日間だけの毘沙門天像御開帳が執り行われることなったそうです。ですから次回の御開帳は平成22年の予定でした。
 しかし、この度の本堂改築に伴い、その落慶法要ということで、平成14年5月19日〜21日の3日間、御開帳されました。

 そこで、またとない機会であると普光王寺を訪れ、御住職 池田智鏡 様の御承諾を得て、撮影することができました。

 

本堂

 向かって左から、善尼師童子像、毘沙門天像、吉祥天女像

毘沙門天像

表面に火傷の跡が見えます。


 身の丈ほどにもある大像で、「毘修喝摩(昂首羯磨)」(びしゅかつま)の作と伝えられる。が昆首羯磨とは実は「帝釈天の臣で種々の細工物を作り、建築をつかさどる天神」(岩波書店『広辞苑』)のことで、付会の説というほかない。しかし平安時代の作であることには間違いあるまい。

 いくたぴか火難にあい、左腕を失い全身火傷におおわれて往古の姿をしのぶ衝もないが、久しく秘仏とされている。

 六〇年に二度の御開帳(三〇年に一度半開帳)というのが今日の慣例である。江戸時代にあっては三三年を一期として衡開帳が執行されていた。

         (以上宮田町史上巻1002頁より)

普光寺の信者さんによるボランティア活動

池田住職と信者さんたちは、ボランティア活動を宮田町外において数多く実践しています。

「眠りから目覚めたとき、わが命あることに『感謝』の念を忘れずに

生きていきましょう」、と説いて、琵琶弾き語り、そして大正琴の音によって

「命と人に感謝の念」を心に届かせています。

その様子(「木蓮の家」)を紹介しましょう。

 グループホーム「木蓮の家」での場面です。入居者は静かにじっくりと聞き入っています。



動画です。クリックしてください。


普光寺の池田智鏡住職・原 弦澄(はらげんちょう)さん
による大正琴演奏と「上を向いて歩こう」斉唱






[障害者への対応]
〔車椅子用トイレ〕なし
〔盲導犬の受入れ〕どうぞ
[禁煙・喫煙]
山中での喫煙はマナーを守ってください。
[所在地]
福岡県宮若市日陽(ひなた) 日陽山(ひなたやま)山頂
[交通便]
JRバス脇野から徒歩30分で登山口(脇野口)/西鉄バス西管牟田から徒歩20分で登山口(日陽口)
JR博多駅下車
@博多駅バスセンターにおいてJRバス直方駅行き→福丸バスセンター下車→タクシー12分
A博多駅下車→高速バス北九州方面行き乗車→若宮バスストップ下車→タクシー15分
◆福岡空港→北九州方面高速バス→若宮ストップ下車
JR小倉駅下車
JR新飯塚駅方面乗車→JR小竹駅下車→タクシー10分
北九州空港→JR小倉駅
[駐車場]
5台(天瀬口)
[問合せ]
普光寺 電話:0949-33-2384 池田智鏡 住職

※普光寺を普光王寺とも言います。




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