福祉のつどい

宮田地区福祉のつどい

 第4・5回宮田町ふくしのつどい
第6回宮田地区ふくしのつどい(宮若市発足後)

第4回テーマ 「目指そう! 人・健康・地域づくり」

第5回テーマ「支えあう、住みよい地域をめざして」

第6回テーマ「しあわせの輪を広げ、明るい地域づくりをめざして」




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みなさん 「宮田町ふくしのつどい」が下の要領で盛大に行われました。
新しい世紀は、福祉の時代とも言われます。
人と人とのふれあい、慈しみはほんとうに大切なこととはわかりながらも
実行は難しさがともないます。
テーマ「目指そう!人・健康・地域づくり」のもとにみんな集まりました。
多彩な、イベント・出し物などが盛りだくさん用意されていました。
そこで、今一度福祉の意義を互いに考えました。
では、その「つどい」の様子を僅かな資料ですが、見てみましょう。


4回 日時:平成13年9月30日(日)
5回 日時:平成15年10月27日(日)
6回 日時:平成18年10月22日(日)

〇受付 午前 9時30分
〇開会 午前10時
〇閉会 午後 3時
主催 宮田地区社会福祉協議会
    宮田地区ボランテイア連絡協議会

場所:4回…宮田町社会福祉センター(所田)

5回…宮田町文化センター(役場)

6回…マリーホール宮田(市役所)



ス テ ー ジ
内 容 時間 ステージアトラクション
開会行事 10:00 ○ロゴマーク表彰
○ボランテイア表彰
講 演 会 10:30 ○講演
    演題 「自分で 
         できる治療」


  講師 医療法人 
      相生会 宮田病院
      内科医 前田 彰先生
 糖尿病や高血圧症などの生活習慣病について、生活が多様化するにつれ、病気にかかる人の年齢層が低下していますと、講話があり、なるほどと、うなずく人が、多く見かけました。
 私は、21世紀を生きる人々は、どのような生きる工夫がいるのだろうかと、真剣に聞き入りました。
 そのとき先生が、「薬に頼るのではなく健康に対する自覚を持って、運動不足や過度の飲酒などの生活を改善することが大切である」と述べられ、これからの生き方や生活改善の示唆を与えられました。
   昼    食  ・  見    学
シ ョ ー 12:30 ○大正琴

○マジックショー


○日本舞踊

マジックショウ

5回 聖蘭会
抽 選 会 14:00 ○お楽しみ抽選会
閉 会 式 15:00



コ ー ナ ー
館                  内 館               外
体験・展示 福祉・健康相談 伝承遊び・
販売コーナー
バザーコナー
◎ 体験コーナー
  〇点訳
  〇手話
◎ 展示コーナー
  〇ボラ連・施設紹介
  〇介護用品・補装具
 
◎ 福祉相談
  〇年金・療育
  〇高齢者生活
    支援相談
  〇介護保険相談

◎ 健康相談
  〇測定(保健婦・  栄養士)

  〇検診(眼・耳・歯)
    ・菅井眼科医院
       菅井寛先生

(眼の検診コーナー)


    ・元栗田耳鼻
      咽喉科医院
       栗田顕雄先生
    ・塩川歯科医院
       塩川宣子先生             
 
◎ 竹とんぼ

◎ コ   マ

◎ 紙飛行機

 ◇物品販売
 ◇青   果
 ◇そ の 他


(伝承遊びコーナーでは、奥藤稔さんの様々な細工品が示され、多くの人の目を引きました。)
〇お弁当  350円

〇うどん  200円

〇焼きそば 400円

〇お好焼  500円 


(あいにくの雨の日でしたが戸外のバザーコーナーには、多くの人が舌鼓を打ちました。)





障害者からの意見発表(第5回)
立  場 発  表  内  容
@知的障害者
 私はある会社で働いていますが、いま36歳、36年間いろんなことがたくさんありました。
 生まれながら、障害を持った私でしたが、小・中学校時代はあまりいじめにあいませんでしたが、養護学校卒業後、あるかまぼこ店に就職しました。そこで初めて、理解のある人とない人とふれあい、いじめにあいました。それも毎日毎日繰り返しいじめにあい、いやになりました。そこで、そこを辞めてその数か月後に隣の市の工場に就職しました。最初は鉄工などの仕事に就いていましたが、あるとき人員整理にあい、それよりきつい仕事に配転になりました。自分の体力の限界を思いそこを辞めました。母も理解してくれました。13年間そこで働いていました。その後は、障害者が共に働く園芸の仕事をしました。そこでたくさんたくさんの障害を持つ人々の働く姿に打たれ、私はもう一度、社会に出て行こうという気になりました。そこでの園長さんや園生のみなさんのふれあいは、今までにない嬉しいことでした。それから3年目を今迎えています。
 僕の夢は、宮田町に障害者のグループホームができて仲良く生活をして、独立を求めていきたいと思っています。もう一度言います。安心して生活できるグループホームをつくってください。もう一つの夢は、いい人に巡り会い結婚ができたらいいなと思います。
A足と目が不自由…身体障害者から

 私は、71歳、一級の身体障害者手帳を持っています。4年前足を切断してしまいしました。私は65歳までは、まったく病院にかかったことはないほど元気でした。それが平成10年、目の手術の甲斐もなく目がほとんど見えないようになりました。右目は0.02、左は駄目になりました。ほとんどみなさんの顔も見えません。これも運命とあきらめました。今では、ほとんど夜なのか昼なのかわからない状態です。
 しかし私は、心に火を灯しています。そして残された人生を明るく楽しくして過ごしている私です(涙声)(拍手)。私が、こうして障害者となって気づいたことをみなさんに報告したいと思います。

 家の者とよく買い物に出かけます。ある汽車の駅で乗るわけですが、数年前、その駅の階段に屋根も手すりもありませんでした。雨の場合は、シャツは真っ黒けになります。駅員さんにも「何とかしてください」とうったえました。それから2年、今ではステンレス製の手すりがつきました。私は感謝しています。嬉しいことでした(涙声)。
 それから、悲しいことがあります。N駅を昔から利用しています。しかし、現在、トイレがありません。以前は向かって右側に大きなトイレがありました。それがです。いまでは外になく、切符を買ってホームに行くときに、つまり、駅構内の中にあるのです。切符買った者しかトイレを利用できない、こんなことがあって良いのですか。ほんとうに身体障害者にとって不自由です。これは納得いきません。どうして以前あった自由に使えた大きな外のトイレを壊してしまったのですか。
 そこでほとほと困ってしまって、その駅の真ん前のバスセンターに便所があったのを知っていましたから、30m程歩いて行ってみました。ところがです。それも板塀で塞いであって使われないようになっていました。そこで駄目でしたから、100mほど離れた、スーパー近くの公衆トイレにいきました。このような行動・距離は健常者にとって何でもない距離かも知れません。しかし私たち身障者にとって、とんでもない距離です。目の悪い、足の悪い私たちにとってどうにもなりません。これはどういうことでしょうか。寂しいことです。
 ところで、沖縄では、身体障害者に対して行き届いているそうです。例えば、台湾から20名ほどの車椅子の方々が来訪された折、船に乗られたそうです。その船は、車椅子の方々でも乗り降り、そして船の中でも移動が可能になっていて、高い看板から見物もできて、非常に台湾の身障者の方が喜ばれたそうです。このようにこの筑豊の辺の人々も考えて頂きたいと思っています。
 おわりに、この町に言いたいこともありますが、ここでは言いません。とにかく老人・身障者に親切にしてください。老人福祉ももっと良くしてください。本日のテーマも「身体障害者を支える」意味合いになっていますから、是非よろしくお願いします。
B聾唖者
 耳が聞こえませんので、病院や銀行に名前を呼ばれてもわかないなど苦労します。医者の説明もわかりません。苦労します。聾唖者として、遊びに行ったとき、手話ができる人がいるとた楽しくなります。いろんな人が手話を教えているので、それを使って交流してください。私たちもみなさんに上手に手話を教えられるように勉強しています。教えにもいきます。お待ちしています。一緒に手話をしましょう。






障害福祉関係者からの意見発表(第6回)

立  場 発  表  内  容
@更生施設所長として


前向きに付き合って
 
 箕浦美津子(こだま作業所所長)

 こだま作業所は一番楽しいと言います。いろんな辛いことはありました。しかしそれらを乗り切ってきています。こだま作業所の子供たちはそれをとおして人の温かさを知ったことでしょう。このこだま作業で働いている子供たちは、ほんとに小中学校などの学校でいじめなど辛いことが多々あったようです。しかし私は、前進のみが私の考えです。この発表のお願いのあったとき、原稿を考えるとき過去を振り返るものですから涙が流れましたが、今もこうして皆さんにお話するとまた涙がこぼれます。その涙には、これからも、子供たちに育ちやすい町であったくれたらと切に願っている気持ちが込められていると思っています。
 ところで、我が子は、「お母さんが死んだら僕どこに行くの?」なんて言っていまして、どうも良く人生は分かっていない。しかしその人生は諦めということはないと思います。これが最も大切です。それを我が子にそして、こだま作業所の子供たちにも言っています。
 さてこだま作業所の子供たちは今が一番楽しいと言うのです。先に述べましたように、いろんなこともあったのでしょう。しかし温かさも知りました。私は前進のみと子供たちに思う。それが私の生き方・考え方です。そして、私自身も子供たちと前向きに付き合っていきたいです。あと何年連れ添っていけるか分かりませんが頑張っていきたいです。ご清聴ありがとうございました。

A聾唖者


障害者が、
   安心して住みやすい市に
 
正蔵寺正志(身体障害者福祉協会聴覚部会)

 私は三歳のときに風邪の注射が原因で耳が不自由になり、小学校卒業まで直方聾学校に通いましたが、そこを卒業時、耳の聞こえる人が通っている学校に通わせたいという両親の強い要望から、普通の学校に通い始め、高校まで通いました。
 友達はいましたが、コミュニケーションがうまくいかず、「わかったか」「いこうか」など言葉も短い言葉ばかりで言いたいことが良く伝えられずに、歯がゆい思いの日々が続きました。耳が聞こえない人にとって、コミュニケーションがいかに大切か、ほんとうに当時を振り返って痛感しています。二十八歳になって、手話を覚え始めてからは、手話ができる健常者との会話が楽しくなって、そこから私の人生がほんとうに開けたと思っています。
 聾唖者が長い間の文化や生活の中で自然に作り出してきた手話は、聾唖者にとって大切な言語であります。例えば病院の先生あるいは警察官の説明がなかなか分からずに困っていましたが、宮田町(現宮若市)から派遣される手話通訳者のお陰で詳しい説明が聞けるようになりました。とても助かります。通常者にとっても手話を通して聾唖者と通話ができることはとっても有益なことだと思っています。
 今年の五月にある障害者が空き巣に入られ警察に通報するまで大変時間がかかったということがきっかけで通報者の住所や電話などをメモして、強盗やひき逃げなど事件の内容を絵に丸を付けて警察に通報することができるシステムが宮若署に設けられました。通話の難しい聾唖者にとっては、見てすぐ分かるシステムだということで助かっています。
 聾唖者は、外見は普通の人と見分けが付きにくいことが多いです。例えば人に呼ばれたときに気づかずに無視されたようにとられたことが多いと思います。そんなときは耳が聞こえないのではと判断していただくようにお願いします。たくさんの人に障害者の理解を広げて障害者が、安心して住みやすい市になるように強く頑張って生きたいと思っています。最後までお聞き頂きほんとうにありがとうございました。

B視覚障害


視覚障害の世界に光を
 
市丸信行(宮若市盲人会)

 アイマスク体験されたことがありますか。早い話が目隠しされていることですが。視覚障害者にはいろいろありまして、全然目が見えないという人、少し見えるが相手の顔が良く分からないとか、まあ全盲ということになります。しかし先々目の症状が悪化し目が見えなくなることを前提にして点字などの勉強をしている半盲という人がいます。
 遊びのときどうしているかですか。例えば野球するときは、ピッチャーがボールを転がし、転がってくる音を聞いて、打ち、一塁コーチャーの手を鳴らす方向を聞きながら私たちは走って行きます。また特別ルールを作って転がってくるボールをとるだけでアウトになるとか、このごろはボールがどっちに行っているかを教えることができるようになっています。随分優しいルールになっていますが。
 こんな経験話をしましょう。このごろ小学校に行ってアイマスクをしてもらいました。私がそのアイマスクをしても何のこともありませんが、ところが子供たちがそのアイマスクをすると子供たちにとっては大変なようです。怖くてひとりではなかなか歩けません。サポーターによって階段の上り下りを経験しています。サポーターと交代するなどしてやっています。
 
私の目ははじめから見えなかったのではありません。たしかに、私は、小学校に上がり、ある日、今日はいやに夜が長いなという気がしましたので、友達に聞いたら、昼だとびっくりしたことを良く覚えています。こうして40年ほどやってきています。40年経つと馴れるといいますかどうにか日常生活を過せるようになってきています。さきのアイマスク体験の子供たちの怖さは良く理解できます。
 私の日常生活についてですが、私たちが良く質問を受けるのは「食事はどうやって」とか聞かれます。時計はこうやって文字板を触って時間を確認します。音声が出るのもあるようですが。私は、3時の方向におやつがあって6時の方向に食事があってというように絵でもあればと思っています。また十五分などの制限のときは音声付のタイマーなどを使用しています。今もこうして安心して喋っています。また映画など行きたい所に介護センターの人々がサポートしてくれて行きたい所に行けます。
 字を書いたり読んだりするのは点字です。1・2年生の頃は勉強がイヤで、「そんなにイヤだったら家に帰れ」と言われたほどです。3年生の頃からなぜか本を読むのが好きで、だから教科書も読むのが好きで、図書館の本を借りて読むようになりました。また2部の人たちに意味は良く分からないのに本を読んでやったりしていました。さらに点字競技大会にもでるようになり、早く読んだりしていました。4年生のときはそこそこの成績でしたが、6年生や中学校1年生のときは1位になることができました。こうして本を読むのが好きになり、今でも毎朝本を読んでいます。
 終わりに要望を一言。何が一番こまるか、それは金融機関の出し入れのとき本人が書かないといけないときがあります。だれにもマスの中の字を書き入れることができるようなシステムを作って欲しいです。その辺りをよろしくお願いします。学校も誰でも段差などがなく自由に出入りできるような建物にして欲しい。切に望みます。

C精神障害者福祉施設担当者


精神障害者に温かい手を
 立山利博(なおみの会代表)

 心を病む人々が集う「なおみの会共同作業所」の指導員で家族でもある立山利博と申します。

 さて、心を病む・精神疾患のために家庭や社会での生活のしづらさ、困難をもつ人々を精神障害者といいます。発病当初はよくわからず、薬も飲んでいないために、大声を出したり、粗暴な行動があったりしますが、以前と違って良い薬が開発され、病院の「お薬教室」などもあり、「病識」をもってきちっと服薬していれば、「寛解」状態を保つことができ、多くの人々が安定して地域で生活できるのです。
 温かい手を差し伸べる福祉についてですが、他の障害者と違い、精神障害者の福祉は大変遅れています。これまでは永く保健衛生の範疇で、障害者と認められたのが平成5年の障害者基本法においてであり、平成7年の「精神保健福祉法」ではじめて福祉の光が当てられたのでした。今回の障害者自立支援法では、知的・身体・精神の障害者が一元化されましたが、交通費半額補助など福祉内容は進捗していません。法定雇用率が本年4月から適用されましたが、「精神」の理解は進んでおらず、差別といわないまでも偏見と誤解が根強く残っています。本人も家族も解放されず、多くの人々がひたすらに隠しつづけています。
 たしかに官若市では、精神障害者が三百人ぐらいいると言われていますが、障害者手帳所持者はメリットがないことなどから平成十七年十一月現在六十八名です。当作業所に通所している人が宮田地区で5名、若宮地区1名で、多くの人々がまだ家に閉じこもっています。これが実態です。どうかご理解ください。
 本年9月より「なおみの会」は第2作業所を立ち上げました。皆様の精神障害者へのご理解とご支援をお願いします。





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