池田智鏡・琵琶が奏でる女の一生

琵琶が奏でる女の半生 

琵琶が奏でる女の半生
 

 


平成19年4月28日、宮若市ボランティア連盟総会での講演「ほどこして・・・」(ボランティアへの心)の一部
(
動画 3分 8MB 低画質)


池田 智鏡さん

(普光寺住職)



平成21年2月13日、宮若市のデイサービス「暖家」(だんけ)において、琵琶弾き語り「耳なし芳一」全
(
動画 9分13秒 26MB 低画質)
宮若市文化センターで琵琶を奏でる池田住職 普光寺へのアクセス・地図は、ここをクリック


地獄の人生がなくて、

 どうして

  人の痛みが分かるか!


 毘沙門天 普光寺(ふっこうじ住職。前職は、8店舗のブティック経営。多額の借金を抱え、昼夜返済の日々を過ごす。
 返済後仏門に入り、荒れた寺を復興。現在、琵琶演奏と、その魅力的な語りに、多くのファンが寺を訪れる。各地への演奏活動も積極的にこなしている。


 


 

 
   う  生        か  の  れ  っ  を  く  と  を  く   ┐ に  ひ  い                
    ゜ を  さ     !  人  果  た  抱  展  も  諭  よ  念  も  と   ` と        山    
      見  あ    └   生  て  人  え  開  い  す  く  ず  感  た  の  に     琵  寺    
      て   `       が   ` で   ` し  え   ゜ よ  れ  じ  び  で  か     琶  の    
      み  ゼ        な  一  も  離  た  る  聞  心  ば  ら  口  あ  く     が  小    
      よ  ロ        く  切  あ  婚  事  口  き  配   ` れ  を  る   `    奏  さ    
      う  か        て  れ  る  と  業  調  よ  す  必  る  開   ゜ 濃     で  な    
       ゜ ら         ` の   ゜ い  の  で  う  る  ず  迫  け  池  い     る  カ    
      そ  出        ど  パ   ┐ う  拡  あ  に  こ  叶  力  ば  田   `    女  リ    
      し  発        う  ン  一  波  大  る  よ  と  う  で   ` 智  の     の  ス    
      て  し        し  が  銭  乱  が   ゜ っ  が  !  あ  そ  鏡  で     半  マ    
       ` た        て  買  も  の  た  彼  て  あ  何  る  の  は  あ     生       
      学  池        人  え  カ  人  た  女  は  る  を   ゜ 体   ` る     ・       
      び  田        の  な  ネ  生  っ  は   ` も   ` や  が  小   ゜    池       
       ` 智        痛  か  は  を  て   ` ド  の  小  や  二  柄  な     田       
      強  鏡        み  っ  な  経  莫  か  ス  か  さ  早  倍  な  に     智       
      く  住        が  た  く  て  大  つ  が └   な  口  に  人  し     鏡       
      生  職        わ   ゜  ` 尼  な  て  効  と  事  で  も  だ  ろ     さ       
      き  の        か  地  や  に  借  手  い  信  で   ` 三   ゜  `    ん       
      よ  半        る  獄  つ  な  金  広  た  者   `    倍  が  熱             
                                                    `               



山頂にある普光寺(宮若市 日陽山ひなたやま 


 

  はじめに ・・・ 池田智鏡住職の言葉

 小倉駅まで迎えに来てくれた、二人の若い女性が、交互に言う。「もう、先生に会ってお寺のイメージ変わったとですよ。お寺ちゅうたら、暗い感じだったけど、今じゃ、お参りやお手伝いに行くのが、もう楽しみで、楽しみで」。「ほんと、十日も先生にお会いせんと、もおぅ、久しぶりい〜ち思いますもんね」。 そして、キャピキャピ、うっとり、なのである。彼女たちは、人生相談で智鏡と知り合ったというが、あれあれ、この濃密な関係は、住職と信者というよりは、教祖と弟子ではないか。
 約一時間単に揺られて、福岡県宮若市の日陽山の麓に着く。地元の人たちが「昆沙門さん」と呼ぶ普光(王)寺は、この頂上近くという。「ここで、乗り換えて下さい。四駆の軽自動車でしか登れません」と言われた。
 山道である。人が二人並んでようやく通れるぐらいの道を、
 日陽山登山道
 山を削って、ギリギリ軽自動車が通れる幅に補修してある。その急斜面を、車はゆっくりと高度百七十メートル先を目指して上ってゆくのだ。横は断崖である。同行していた廣部カメラマンが「怖ろしいですね……」とつぶやいた。運転していた男性信者が「資材を運んでいたキャタピラ車が二回、落ちました」という。

 実業家からどん底へ
 智鏡は、三十歳から四十歳前まで、輸入品卸売りの会社を経営する実業家だった
 従業員には「私に出来ることが、あなたにどうして出来ないの!」と要求するモーレツ社長。装いも、化粧も、超ド派手の満艦飾、駅や空港に彼女が降り立てば、誰もが振り返った。「歩く宣伝塔のつもりだった」。
 夫にも、常に百四十%を要求した結果、やがて離婚が待っていた。
 八店舗目の店を出したとき、事業拡大の経営が裏目に出て、借金が五千万円に膨らんだ。店舗の縮小だけでは、とても足らない。化粧品販売や、保険の営業を掛け持ちしながら、必死で借金を返済しなくてはならないはめになった。
 「まともに眠ることも、食べることもできない時代だった」。しかし、やむなく始めた保険の営業で、毎月、売上1をキープして、ついには所長に抜擢されてしまうところがこの人らしいともいえる。
 このドン底時代、人の情けは身に染みた。
 食費もない彼女を、店のお得意さんたちは、さりげなく食事に誘ってくれた。暮れには「お歳暮」と称して、食品を持ってきた。泣けて困った。
 そのことは、今も忘れていない。

 おまえ、死ぬぞ
 波乱の半生を、笑い、泣き、身振り手振りをまじえながら話す。私の後ろでは、いつの間にか集まってきた信者や、地域の人々が並んで「うん、うん」と聞き入りながら、同じように泣き、笑う。
 借金で苦しんでいた頃、信貴山で得度した。真言宗の毘沙門天総本山である。だが、得度が何かも知らなかった。目がつり上がり、痩せこけた彼女を見かねた友人が誘ってくれたのである。その頃は、滝に打たれながら必死で「手形が不渡りになりませんように」と祈っていたのだから、まだ業は深い。
 会社の借金をすべて返済し終わった時、生き馬の目を抜く事業経営からはスッパリと足を洗って、平穏な道を求めて尼となった。三十九歳になっていた。北九州市八幡の善光寺別院「毘沙門堂」で復興に携わった。再び真言宗の、毘沙門さんである。
 この時の師僧が「わしは、琵琶が好きだ」と言ったのが、琵琶を始めるきっかけとなった。習い始めて、師僧の前で演奏すると、ひとこと「ヘタくそ」だった。悔やしくて琵琶の師匠に「金剛石だって磨かないと光らないと言います」と訴えると「金剛石とはおこがましい。お前の琵琶は瓦礫(*がりゃく=がれき)だ」と言われた。
 この人にそういうことを言ってはいけないのである。発火点は通常人よりずっと低いのだから。それから、猛練習をして腕をあげた。
 琵琶を演奏する尼僧は珍しいから、あちこちから公演の声がかかる。
 演題は「女の一生−心の天竺を求めて」の一本槍である。「会社を潰し、夫に逃げられました尼でございます」とマクラを振って話し始め、最後は琵琶で締める。講演用に短くアレンジした「壇ノ浦」、「忠臣蔵」が人気だ。
 平成十年六月、現在の宮若市普光(王)寺の住職に、という話が町の人たちから来た。聞けば、十三年間無住になっている天台宗の寺で本尊さんは毘沙門天という。その時には、八幡の毘沙門堂も納得ゆくだけ復興したとの思いがあった。心が動いた。
 行ってみると、本堂は、泥棒よけと称してトタンでくるんであった。そのため湿気がきつく、雨が漏る。歩くと本尊がガタガタ揺れた。本堂横にあった大師堂は、老朽化のため本堂にしなだれかかり潰れそうである。大師堂には、天台宗だが、弘法大師像が安置されていた。像に触れるとバラバラになった。「もう、怖ろしいことばかり」。
 イノシシも出る、キツネもいる、狸もへびも出没した。なにより、生活が成り立たないことはあきらかだった。
 師僧は言った。「行くな、おまえ死ぬぞ」。しかし、もう町の人々に約束していた。不便な山上に、水も引いてくれ、シャワーと風呂も作られていた。真言宗から天台宗に転派し得度もし直した。後には引けない。それに、自分にとっては、三度目の毘沙門様である。智鏡は昆沙門天が「おまえの、残命を投げ出して来い」と呼んでいるように思えた。「無から有を成す」というのが、彼女の信条である。「念ずれば必ず叶う。何とかなる!」。

  無から有をなす
   決意は固かったが、予想通り、収入はなかった。その時琵琶があった。
 町や、婦人会が講演を依頼してくれた。個人の家に食事に呼んでくれた。だが、信者の好意に甘えて、ついつい長居をすれば、深夜に険しい山道を帰らねばならない。片手に懐中電灯、片手に携帯電話を握りしめて帰る。イノシシに遭遇するのも一再(*いっさい)ではない(*何度もおこるという意味)。
 最も、重大な事があった。十三年間、誰も住んではいないといっても、背光寺には管理をしている兼務住職がいた。その新しい師僧が、なかなか住職を譲ろうとしないのだ。これでは、体のいい堂守ではないか、と智鏡は思った。住職と堂守では社長と従業員、月とスッポンぐらい撃つ。
 「話が違う!」。
 彼女が求めるのは、生きている証なのである。全身全霊を打ち込んで突き進んでこそ「命の証」である。それが封じられてしまった……。
 といって、帰る所もなかった。天台宗に転派した時、帰る橋は焼いてきた。それなのに、また進む道も閉ざされていた。償金を返すより苦しい地獄があるということを知った。
 普光(王)寺に来て、五ケ月が過ぎた頃、師僧が「住職を譲る」と言ってくれた。
 このことについては「彼女が、この地で頑張ってやれるかどうか、試してみるための愛のムチだった」という意見も聞いた。が、前師僧は、すでに遷化し、今となってはその真意を確かめるすべもない。
 平成十一年十月一日、遂に住職となった。ゼロからの出発であったが、もとより望むところである。それまで、抑えに抑えていたマグマが激発した。
 住職就任から、僅か三年で新本堂の落慶、新大師堂落慶、十三仏、六地蔵、七福神開眼、庫裡増改築、不動明王と観音像の開眼、道路整備、環境整備と星祭りや採灯護摩などの数々の年中行事執行と、ええ、もう、あれすぎて書
 毘沙門天火渡り神事で、
火をわたる池田住職
ききれない。それまでの旧境内の写真を見せてもらったが激変である。「使用前、使用後」という言葉がぴったりする。
 本堂の落慶式に参列した天台宗社会部長の秦順照が、言った。「ここの毘沙門さんは、大した霊験じゃなぁ。何ちゅうても、あんたを呼んだんじゃけんなぁ」。
 寺観一新された境内をくまなく案内してもらい、最後に寺の建つ日陽山頂上に登った。「もう、あたり一面、竹が茂り放題だったのを、伐ってもらって随分明るくなりました」と智鏡。眼下に市街と海が広がり絶景である。冷風が吹き付けてくる。海抜百七十メートルの山頂
日陽山からの絶景(左:六ヶ岳 右奥:福智山)
を吹く一月の風である。私はフルフルと震えるが、彼女は動じない。腕をサッと伸ばして言った。「ご覧下さい。向こうが玄界灘です!」。
 いやはや、凡夫としては、ただただ、そのエネルギ一に敬服するばかりである。
 だが、その間にも次々に携帯電話が鳴る。人年相談が始まると、みるみるうちに、強いオーラが彼女を包みはじめる。
 智鏡に言わせれば「皆、叱って欲しくて来るんです。話を聞いて私がガンガン言うと安心するみたい」。
 確かにこの人に、ボンボン言われると、胸のつかえが降りるような気がする。人を酔わせる一種催眠的な魅力と言うべきか。
 「何とか、このお寺も信者さんの力で回ってゆくようになりました。また、復興が必要なお寺あったら行こうかしら。世間では、こういう考え方って分からないのよねェ。前のお寺を出るときも『これまでに、立派にしたのに、そんな朽ち果てたような寺にゆくなんて分からない』って言われました。私って、自虐趣味なんでしょうかね」。
 それは、とても普通に生きている人には分からないだろう。そのことは、世間の噺笑を浴びながらも、集め続けたマイナスのカードを、瞬時にしてプラスに変える事が出来る、いわゆる「無から有を成す」錬金術師だけが持てる、密やかな誇りであるはずだから。<文中敬称格> 
  ( 平成15年2月8日付「比叡山時報」から横山和人氏の文を本HP担当が再編集しました)








おわりに住職のお言葉を載せましょう。

 
      ま  を  て  て     ご  せ     る  け  い     ま         ┐   
      し  上  い  下  な  と  よ  お  と  が  か  で  す  人     な    
      ょ  手  き  さ  り  が └   釈  言  不  な  も   ゜ は     り    
      う  に  ま  い  た  人  と  迦  い  幸  い   `    誰     た    
       ゜ 使  す   ゜ い  の  教  さ  聞  だ  の  な     で     い    
         っ   ゜ い  と  生  え  ま  か  と  が  か     も     自    
         て  潜  つ  思  き  ら  は  せ  は  当  な     皆     分    
         希  在  の  う  方  れ   ` て  考  た  か     自     に    
         望  意  日  気  だ  ま  亡  下  え  り  う     分     な    
         に  識  か  持  と  し  く  さ  ず  前  ま     の     れ    
         向  を   ` ち  い  た  な  い   ` で  く     都     る    
         か  芽  な  を  う   ゜ る   ゜ 私  す  い     合  住 └     
         い  生  り  忘  こ  自  時     は   ゜ き     の  職       
         ト  え  た  れ  と  分   `    絶  そ  ま     い          
         ラ  さ  い  ず  で  で   ┐    対  ん  せ     い  池       
         イ  せ  自  に  す  自  自     に  な  ん     よ  田       
   合     し  潜  分  持   ゜ 分  ら     幸  時   ゜    う          
   掌     て  在  に  っ     を  を     せ   ` う     に  智       
         い  能  な  て     磨  灯     に  私  ま     望  鏡       
         き  力  っ  い     く  明     な  だ  く     み          
                                                        
毘沙門便り「結」(ゆい)第5号から


 
   心     ょ  さ  さ  は  分             
   を  そ  う  ま  ま  ず  し  人     自    
   磨  の   ゜ の  に  で  か  を     分    
   い  良     血  感  す  な  う     し    
   て  い     と  謝   ゜ い  ら     か    
   い  と     才  し  良  も  や     な    
   き  こ     能  て  い  の  ん     い    
   ま  ろ     を  下  と  を  だ     も    
   し  を     受  さ  こ  見  り     の    
   ょ  生     け  い  ろ  つ   `         
   う  活     継   ゜ を  け  ね  住        
    ゜ の     が  数  見  て  た  職        
      中     れ  え  つ  下  ん          
      で     て  き  け  さ  だ  池        
      実     い  れ  た  い  り  田        
      践     る  な  ら   ゜ す          
      し     こ  い   ` 必  る  智        
      て     と  ご  ご  ず  よ  鏡        
      い     で  先  先  有  り          
      き     し  祖  祖  る  自          
       `                           
毘沙門便り「結」(ゆい)第9号から


平成21年1月6日講話
「まあいいか」
 宮若市のデイケア「リストーロ」において、普光寺住職池田智鏡様グループのボランティアが行われました。「今年1年間は何事にも『まあいいか』の気持ちで力まずいくとそれらが積み重なり大きなものとなり、人にも寛容となりましょう」と諭されているようでした。画像クリックして動画でお聞きください








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