いじめの思い出 2009/01/15〜



 宮若市龍徳にお住まいの井上功雄さまのお話をお聞きする機会があり、感動しました。ここに本HP担当がまとめ、そのお話の一端を掲げます。


  いじめの思い出  
     〜「とうちゃん!」〜
      井上功雄(宮若市龍徳)
 私は身体障害者です。以前は、私のような障害の事を「びっこ」「チンバ」と呼ばれていました。 
 しかし、ちいさい頃は、近所の友達と遊んでいても、だれ一人そんなことを言う者もなく小学校に入学し、他の地区の子供と一緒になってから言われるようになりました。学校の行き帰りに、はやしたてられたり、突飛ばされたりしました。「や−いやーい、チンバ、チンバ、チンバ、山が見えたり隠れたり」「寄るな、触るな、せつかうな」などとみんなからからかわれました。チンバの私当人は言われてみるまで気がつかなかったことです。たしかに意識して遠くの山並みを歩きながら見てみると、上下に山が見えたり隠れたりしています。うまいことを言うものです、脚の悪くない者がどうして分かるのか、また知っているのか不思議でした。
 実は、このように障害者になったのは満一歳すぎに小児麻痺にかかったのです。当時の日本は太平洋戦争の真っただ中、父は戦場で身近に居ず、母は私を背に片田舎の町からあちらこちらの病院や、名医を探し回ったそうです。
 小学校で毎日いじめられ、泣いて帰っては「なして僕だけチンバ?」と母を責めたものです。「ごめんネごめんネ、かあちやんの脚と変えられるもんなら」と私を抱きしめながら母も泣いていました。
 

 終戦となり暫くして、我が家で知らない元軍人さんと一緒に暮らすようになりました。私がいじめられ、泣いて帰ると「男がめそめそなくやつがあるか、今度泣いて帰ってきたら家にいれんぞ」そう言って私をひっぱたくのです。「あんたのお父さんよ」と言われても、私にとっては怖い元軍人さんでしかありませんでした。
 ある日も泣いて帰ったところ、棒切れを私に持たせ「泣かせた相手を謝らせて来い」そう言って家からひっばり出しました。
 「謝らせて来い」と言われても今日の相手は上級生、足は速いし身体も大きいとても、とても勝てる相手ではない。棒切れを抱え、いじめっ子の家のまわりをうろうろ。そのうち日が暮れて、お腹は空くし暗闇が怖い。はやく家に帰りたいが元軍人さんの怒った顔がもっと怖い。
 いじめっ子の家の裏からそーっと覗いてみたら一家揃って晩御飯の最中。いじめっ子は土間側、背中を見せて座っている。裏戸は開いている・・・。そうだ「やるなら今だ」と思っても身体がうごかない。イジイジしている間に、いじめっ子が晩御飯を食べ終わろうとしている。意を決し震えながら土間に入り「いじめたのを謝れ、あやまれ」と言いながら、いじめっ子の頭を棒切れでぽかり、ぽかり。いじめっ子は口の中の物をこぼしながら泣き出した。
 


 
 
「なんしょっとか、こんガキが」私の手から棒切れを取り上げ、私をなぐろうといじめっ子の父親が腕をふりあげた途端、「子供の喧嘩に親が出るとかッ、よかッ俺が相手しちゃる」と、雷が落ちた様な大声と共に元軍人さんが飛び込んできた。
 一瞬でこの場を理解出来た私は、元軍人さんの膝に抱きつきこころの底からおらんだ。
「とうちやん!」