宮若歴史文化公開講座案内

                          主催:宮若市の図書館友の会
  

開 催 趣 旨
 貴方は、大河ドラマ「軍師官兵衛」をどのようにごらんになっていますか?
 「姫路や福岡・中津なら縁もあって身近に感じるかもしれないが、
宮若には何かゆかりのものはあったの・・・?」という方々へ

 先日6月1日の第22回放映分では、有岡城の荒木村重の子供が侍女に預けられ逃れる場面がありましたね、あの幼児が命永らえて、後日「若宮八幡宮三十六歌仙絵」を描いた岩佐又兵衛となるのです!
 それと、土牢に閉じ込められている場面では牢番役人およびその子供が出てきましたが、有岡落城の折、牢を開錠して官兵衛脱出を助けましたが、この牢番役人(大河ドラマでは加藤又左衛門)こそ、幕末期黒田藩の家老職まで務め、大嶋御別館建設の推進役でありながら乙丑の獄にて切腹となった筑前勤皇派のリーダー加藤司書の祖先であり、今も犬鳴大橋のバス停名が司書橋となっている奇妙なバス停にその名をとどめているのです。
 6月8日の23回放映分にも、保護された子供(大河ドラマでは玉松:後々家老になり現在の朝倉市美奈木で一万六千石の所領をもらい黒田の姓を与えられる黒田一成・後年関が原の戦い以後出仕するようになった兄が加藤司書の祖先になります)や、京六条河原での荒木村重一族の処刑場面にも岩佐又兵衛は侍女に隠し抱かれた赤子として母親の最後を忍んで観るシーンがありました。
 このように、思いもよらず宮若に関係してくる場面が出てきます。また、宮若市内でも龍徳の光明寺には官兵衛の義姉(最初官兵衛との縁談相手だったが本人が嫌がったので妹の光(てる)が嫁いできましたが、上月(こうづき)城主に嫁いだが夫が家臣の裏切りで亡くなり娘二人を官兵衛夫婦に預け自分は出家して尼となっていましたが、後に黒田家九州入国以降妹夫婦のもとで暮らしていました)のがあります。それは光明寺の三代目住職がこの姉妹の実家だった播磨志方城主串橋家の旧家臣の出身であった縁により菩提を弔いたいと願いによるものだそうです。
 宮田の極楽寺には黒田長政の後室の墓もありますし、如来田の瑞石寺には大河ドラマで官兵衛救出の三人のなかの井上九郎右衛門(後に黒崎城代)の自筆書簡官兵衛と長政夫妻の位牌もあります。また、信長からの人質斬首の命令のなか官兵衛の息子松寿丸(後の黒田長政)をひそかに竹中半兵衛の密命で匿い育てた不破矢足という人物の御子孫はなんと宮若市内に住んでいらっしゃるのです。
 こうした、話を知っていれば、わりと身近なところに黒田官兵衛を感じることも出来るのではないでしょうか。 そのようなこともあって、今回宮若市民がわが郷土にある、黒田官兵衛関連の話をより多く聞いていただくための公開講座とし、定例開講日を変更して土曜日としたものです。