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図書館講演会 主催 宮若の図書館友の会・宮若のまちづくりを考える会

宮若市では、市立の図書館建設が近づき、
図書館への市民の思いは高まるばかりです。
下記の講演会を、行政のお力添えを得ながら市民の力で開きました。
ここに2時間にわたる講演内容の概要を載せます(本HP担当者)。

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      於:宮若市中央公民館学習室 平成19年6月22日
 
演題「いのちが響きあう図書館へ
          
                講師:鹿児島国際大学短期大学部
              教授 種村 エイ子 
◆ はじめに
 ビルマ(ミヤンマー)難民キャンプで3年間図書館づくりに関わった渡辺有里子さんの本『図書館への道』(すずき出版)に、10歳の子どものすてきな詩が載っています。読んでみましょう。・・・・(右図の詩を読む)この詩は、図書館の原点を思い出させてくれますね。
◆ 学習権をささえる図書館

 『学習権を支える図書館』(南方新社)は、私が2006年に出版した本につけたタイトルです。学習権という言葉は、現在あまり使われていないようですが、私が図書館に勤め始めた1970年代は、図書館は、国民の学習権の保障の場であるという共通認識ができつつあった時代でした。きっかけになったのは、「教育権は国民の側にある」とした家永教科書裁判でのいわゆる杉本判決でした。図書館界では、それを通して、一人一人の国民が「いつでも どこでも どんな本や情報でも」得ることができるようサービスするのが図書館の第一義的な機能であるとの認識が高まりました。図書館の主人公である利用者・住民、誰もが自由に様々な情報を得ることができ、自由に豊かに生きることを保障するのが、知的社会保障の場としての図書館の大事な役割だというようになっていったのです。
 私は、ガンという病気を体験して「生きることは、自己選択、自己責任の積み重ねだということ」を実感し、「自分の人生を自分らしく納得して生きていくことの大切さ」を最初の本『知りたがりやのガン患者』(農文協)に書いたつもりです。そのためには、必要な情報を手に入れることが欠かせません。その誰にでも開かれた「情報の広場」が図書館なのです。その広場として、地域の方々に親しまれている図書館の例として2枚の写真を紹介します。
  ひとつは、日本最南端の市立図書館、石垣市立図書館です。2000年に沖縄で全国図書館大会が開催された折に撮影したものです。当時、人口4万人ほどの町でしたが、雑誌がものすごく揃っていて、インターネット端末も解放されていて、たくさんの方が利用していました。
  右は、島根県の斐川町立図書館(上図の右)です。こちらは、2006年の撮影です。ここもブラウジングコーナーがとてもゆったりつくられていて、さまざまな年代の方に利用されています。

◆ 子どもをゆたかに育む図書館
 図書館の役割として、忘れてならないのは、子どもたちの生きる力を豊かに育む場であることです。最初に紹介した『図書館への道』の著者渡辺有里子さんのお母さんである渡辺順子さん(東京都練馬区 すずらん文庫)は、現在の子どもたちの育っている環境を「テレビと電子おもちゃ時代」と規定しています。人と人とが向きあわない非対面文化の時代だというのです。だからこそ、親子のふれ あいとしての赤ちゃんのときからの読みきかせが大事なのです。
  40年ほど前、鹿児島県立図書館長だった椋鳩十さんは「母と子の20分間読書運動」を提唱しました(右下図)。南九州でテレビ放送が始まったばかりのころ、子どもたちがテレビに夢中になり、親子の絆もあやうくなることを危惧して始まった運動でした。最初は子どもが読んで母親がかたわらで聞く方式でしたが、いつしか親が子どもに読み聞かせる方法に変わり、全国的に読み聞かせ運動が広まっていきました。
 その後、1965年に東京の日野市の図書館が自動車図書館1台でスタートしました。図書館は建物ではなく、「サービスをすること」を実証したのがこの図書館なのです。
 同じ年に石井桃子さんが、ご自宅の文庫での経験をもとに、子どもには身近に図書館が必要と『子どもの図書館』(岩波新書)を刊行しました。それを読んだ全国の母親たちが家庭文庫や地域文庫に取り組み、本をむさぼるように読む子どもたちに接し、やがて図書館づくり運動を始めていったという経過があります。1970年代は、こうした運動が実って、都市部を中心にまず公共図書館が伸び始めました。

◆ いっぽう学校図書館は
 1953年、学校図書館法が成立しました。教育に欠くことのできない施設と規定してあるのに、専門職員である司書教諭を当面置かないことができるとされました。司書の規定はありませんでした。一部の自治体、たとえば沖縄とか鹿児島や岡山などでは、独自に学校図書館に司書を配置していったところもあります。
  1997年に法律が改正され、12学級以上の学校には司書教諭が配置されるようになりました。相変わらず、司書の配置は明記されませんでした。同じころ、中教審答申で、「自ら学び考える教育への転換、情報化への対応」が強調されました。つまり「生きる力」の育成です。総合学習も登場し、子どもたちは自分で情報を集め、自分で分析し、判断し、自分のことばで発表する力をつけることが求められました。そのためには学校図書館は欠かせないのです。
 生きる力を育てるには、体験学習ももちろん大切です。本で調べたことを実体験で確かめ、体験したことをもとに本で確認することで、生きた知識が身につきます。写真は、私の本『シリーズ いのちの授業』(ポプラ社)で紹介している事例(右図)です。ここの小学校では、環境にやさしいアイガモ農法に取り組んでいます。アイガモに手伝ってもらって、お米を育て、そしてそのアイガモの命をいただくという学習を通じて、自分たちの命は、いろんな命に生かされているかけがえのない存在であることを学んでいるのです。

◆ 司書のいる学校図書館
 最近、日本では子どもたちの学力の低下がクローズアップされ、ゆとり教育が見直されようとしています。『競争やめたら学力世界一』(福田誠治著 朝日新聞社)によると、PISAの学力調査で世界一になったフィンランドの授業時間数は、OECD加盟国でもっとも少ないのです。では、なぜ世界一の学力を維持しているかというと、要因のひとつに図書館が充実していることが挙げられています。とくに、公共図書館が充実しています。(人口56万人の首都ヘルシンキには、38館の公共図書館があります。同じ人口規模の船橋市は、10館、東大阪市は8館、鹿児島市は県立を入れて2館です)
 子どもたちが授業時間を利用して近くの図書館に出かけたり、図書館の司書が学校に頻繁に出向いて、本の紹介をしたりしているようです。残念ながら日本では、歩いて行ける距離に公共図書館がない子どもの方が圧倒的に多いです。図書館の専門司書も少なく、学校に定期的に出向けないのが実情です。そのため、どの学校にもおかれている学校図書館の役割が大きいのですが、12学級以上の学校に配置された司書教諭は専任ではないのです。教科や学級担任などを兼務しています。だから学校図書館に関わる時間はごくわずかです。子どもたちが「不思議だな、調べてみたいな」と思ったとき、いつでも何かを得られる学校図書館であるためには、そこに常駐している司書が必要です。
 司書のいる学校図書館の事例として、また写真を紹介します。出水工業高校の図書館です。ここは、最近平湯モデル(http://www.hirayu.jp/index.html)を取り入れて、見違えるような居心地のいい空間に生まれ変わりました。なにげなくやってきた生徒たちでも、何か借りて帰ろうかなという気持ちにさせるレイアウトになっています(右図)。
 もう一枚は、鹿児島市の武小学校です。ここは、司書が毎月レイアウトを替えています。子どもたちは、ワクワクしながら図書館にやってきます。1人あたり年間120冊以上もの貸出をしています(左図)。
 こうして子どもたちがほっとできる空間、こころの保健室ともいえる場所を学校の中につくることが大切です。佐世保のあの事件の舞台になった小学校には、司書が配置されていませんでした。小規模校なので、司書教諭も当然おりません。もし、司書が常駐する温もりのある学校図書館があれば、本が好きだったというあの子は、あししげく通ったでしょう。心の悩みを司書に聞いてもらう機会があれば、あんな事件はおこらなかったかもしれません。

◆ これからの図書館
 年間3万人もの人が自殺する時代です。「自殺したくなったら、図書館へ行こう」と呼びかけている図書館があります。滋賀県東近江市の能登川図書館です。私は、前館長の才津原さんを訪ねて、この2月に訪問してきました。文字通り「いのちが響きあう図書館」だと感じました。写真は、入り口の情報コーナー、そしてリラックスできるホットスペースなど見るべきものが多いです(右図 地域の作業所が運営している。リサイクル本の販売、1冊30円ほど。作業所の資金になります)。誰もが自分の居場所を見つけ、本を通じて多くの出会いがあり、自分なりの楽しみを見出せる図書館です。
  これからの図書館のキーポイントは「くらしに役立つ図書館」です。下写真は、鹿児島県湧水町くりの図書館の「くらしに役立つコーナー」です。役場とタイアップして、住民の生活に直結した情報を提供しています。役場の人が図書館を見直すきっかけにもなっているようです。ここも,木製のゆったりした平湯家具を取り入れています。絵本はずらっと表紙を並べて配架しています。大人用と子ども用の本をいっしょに並べたり、ビデオやDVDを関連図書といっしょに並べたり、いろんな工夫をしている図書館です。

 図書館の役割をまとめてしまうと「生きる力を育む学びのサポーター」であるといえます。
 エムナマエさんの本の中に「学ぶことは自分で気が付くということ」という言葉があります(下図)。彼は、全盲(差別用語として使ってはいけないのだそうですが、ご本人がこの表現を希望されています)のイラストレーターです。記憶している色番号をパートナーに指示して、自分で描いているとのことです。右図のイラスト図がそうです。病気のせいで失明した後、イラストレーターとしての仕事を続ける方法を誰も教えてくれません。彼は、自ら発見した(気づいた)のです。私は、子どもたち対象の「いのちの授業」でも彼のこの言葉を紹介しています。学校で先生に教えてもらう期間は限られています。長い人生、自分で学び、自分で気づかないといけない場面は多いのです。現代は、インターネットなどでたくさんの情報を得ることができます。しかし、ネットの情報を私たちが使い始めて10年そこそこ。印刷された活字情報は、もっと長い歴史をもっています。発信されるまでに、たくさんのフィルターを通しています。だからネット情報に比べ、確実な信頼できる情報が多く含まれています。膨大なネット情報のなかで信頼できるものを入手できるリテラシーを身につけるためにも、図書館の役割は大きいと思います。
 私たちが生きるうえで欠かせない「自分で学び、自分で気がつく」場である図書館が宮若市に誕生するために、ぜひ市民の立場で頑張ってください。期待しています。

??? 質問・回答 ???


 質問@ 学校図書館の司書教諭は12学級以上の配置とか。しかし、司書教諭は大事にされていないと思うがいかがでしょうか。
  もう一つは宮田のある学校は、予算が乏しく非常に貧弱であると思う。先生の見解はいかに。

回答@ 学校図書館は、読書センター、学習・情報センターの機能の両方を持っています。子どもたちの豊かな感性を育む出会いがあるところと、学ぶ力を育成する側面があります。その意味では、司書と司書教諭両方が配置されるのが望ましいと思います。しかし現実では司書教諭は専任ではない。司書を置いているところは、学校図書館は活発に動いていると思いますし、学力のみならず、情緒・感性を豊かにするためにも司書が必要です。財政難にも関わらず司書を自治体独自で採用するところは、全国的に増えています。また、島根県斐川町のように、司書を公共図書館に配置して、学校に派遣しているところもあります。学校図書館の蔵書を増やす予算は、国が毎年200億円つけています。しかし、地方交付税に含まれているため、それぞれの町で予算化しないとだめなのです。詳しくはSLA (http://www.j-sla.or.jp/)参照


質問A 先ほどのグラフで、新刊本をそろえるほど、利用者数が多いという傾向が見えたようですが。ご見解を。

回答A 新しい本を揃え、市民のリクエストに応えられる図書館でないといけない。しかし予算も限りがあることですから、めったに利用されない高価な専門書や古い本で入手できない本は、図書館相互で補完し合うようになってきています。県立図書館や大学図書館も含めたネットワークもあります。


質問B リファレンスサービスの在り方は?

回答B 答えを直接教えるのではなく、司書は、利用者が調べるのをお手伝いします。


質問C 読み聞かせと図書館の関係は?

回答C 司書が読みきかせする場合はもちろん、ボランティアが読み聞かせする場合も、その本を、子どもたちがいつでも手にできるように、図書館に必ず準備しておいてほしい。


                           終わり

本ページは、講演者の校正を経ています(本HP担当者)。